2012年09月17日

一人暮らしとは言え、我ながら無駄なものを買いためてしまったものだ。
というのも、こんな精神薄弱な私だ。思い出に関わるものはどんなガラクタでも捨てられない性分なのだ。

前職での表彰状。インセンティブで貰ったグッズ。社名の入った記念品などなど。
別に会社に思い入れはないが、ここで過ごした記憶は忘れることができない。
逆に相手からすれば私を忘れている人間ばかりだろうが。

自分だけでなく他人が関わった物を捨てるのはなかなかできなかった。
それでも昨日ようやくに。長年貯めてきた思い入れのある物に別れができた。

今私の部屋は詰め込みの終わったダンボール箱だらけになっている。
失踪後に大型ごみ、粗大ごみとして処分しやすいようにラベルも貼っておいた。

私の人生は確実に五年前終わっていた。
それ以前からも死にたいという欲求は離れなかった。
そこからのうのうと今日まで生きてきたのは自分の意思の弱さと決定力のなさに他ならない。

あの日。
私は治療など受けずに死ぬべきだった。
無駄に延命してしまったことを今でも後悔しているし、悔やまなかった日は一日たりともない。
病魔に逆らうことなく死んでいたなら、私は自殺などという手段をとらずにすんだろう。

どうか全ての人間に自殺、自逝の自由を与えて欲しい。
生きる希望が無くなった時点で人間は死んでいる。
無駄に心無い甘い言葉や誘いをかけて延命させないで欲しい。それは生地獄にしかならない。

死んでも悲しむ人間がいない人間だっている。
死んでも気づかれない人間だっている。
生きているだけで苦痛な人間がいる。
生きているだけで邪魔な人間がいる。

これらは全て真実だ。

どうか。どうかお願いだから死のうとする意思を尊重し止めない社会を作って欲しい。

生まれてくるべきではない命だってある。
税を搾取されるだけで後は何の役にも立たない命だってある。

そんな命であっても死ねば臓器を欲している人間の役にくらい立つだろう。部品として役に立つだろう。それは恵まれた人間にとって望まれていることじゃないのか。

自殺に良し悪しもない。否定も肯定もない。ただ選択肢として用意されるべきだ。
それすらも消してしまうのはどうだろう。欺瞞に過ぎない。

今の社会に目を向けよ。
この先のなんの夢も希望も未来もない日本国で生き続ける人よ。
年間三万人を超える私たち自殺者は幸せなのだ。
いじめから逃げよといったのは最近のあなたたちではないか。
辛い現実から逃げなさいといったのは最近の識者たちではないか。
自殺という人生永久の逃げ道にして安らぎをなぜ否定する。

私たちはそんな社会もあなたたちも全てひっくるめて嫌になり死へ逃げるのだ。

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(10:30)